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Channel: 高野悦子『二十歳の原点』の「高野悦子自身になりたい」
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Swimming in the cloud

Swimming in the cloud 6月5日 私は我(が)の強くない人間である。私は他者を通じてしか自己を知ることができない。自己がなければ他者は存在しないのに、他者との関係の中にのみ自己を見出している。...

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生きるということは妥協の連続なのか。

生きるということは妥協の連続なのか。 6月9日 生きるということは妥協の連続なのか。大事なことはどこに妥協の接点を見つけるかということである。・・・ 未熟である己れを他者の前に出すことをおそれてはならない。...

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ああ、人は何故こんなにしてまで、生きているのだろうか。

ああ、人は何故こんなにしてまで、生きているのだろうか。 6月17日...

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人は何故生きていくのか考えてみました。

人は何故生きていくのか考えてみました。 6月18日...

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一切の人間はもういらない

一切の人間はもういらない 6月19日 一切の人間はもういらない 人間関係はいらない この言葉は 私のものだ すべてのやつを忘却せよ どんな人間にも 私の深部に立入らせてはならない うすく表面だけの 付きあいをせよ 一本の煙草と このコーヒーの熱い湯気だけが 今の唯一の私の友 人間を信じてはならぬ 己れ自身を唯一の信じるものとせよ 人間に対しては 沈黙あるのみ ・・・ サビシイデスネ―...

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私は独りである

私は独りである 6月20日 このノートを書くことの意味―...

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詩よ どうか私をなんとかしてくれ!?

詩よ どうか私をなんとかしてくれ!? 6月21日 何だか惰性でこのノートにむかうようで書くのがいやだが、まあ一応書いておくことにする。・・・...

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生への未練がまだあるのです。

生への未練がまだあるのです。 6月22日 また朝がやってきた。十九日以来の、このどうしようもない感情、うさ晴らしに酔うだけ酔って、すべてを嘔吐し忘れた方がよかったのかもしれない。・・・  このノートに書いているということ自体、生への未練がまだあるのです。ところが、では生きていくことにして何を期待しているのかといえば、何もないらしいということだけいえる。...

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ありがとうございました。

ありがとうございました。 高野悦子さんは1963年1月2日に14歳になり、その日から日記の記述を始めています。しかし1月28日の日記には、「今、自殺してもかまわないと思っている。残念とは思わない。」と記しています。なぜそう考えるようになったのでしょうか。そして予期していたかのように、数年後自殺してしまう。...

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訪問者の方へ

このブログは現在休止しております。 このブログの構成は高野悦子さんの『二十歳の原点』『序章』『ノート』を時系列に紹介しております。最初の2つの記事は自殺原因の私的考察です。その後はほぼ日記の記述順となっております。詳しく理解したい方はアーカイブスから入り、最初からお読み下さい。 尚、より詳細に理解したい方は、図書館の利用、書店で購入下さい。

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